他のところでも書きましたが、私は30代のときに椎間板ヘルニアの後遺症で苦しんだことがあります。 いろいろなところに行きましたが良くならず、一生このまま治らないのではないかと悩んでいました。 頚椎、胸椎、腰椎と、背骨の何箇所かを傷めていましたのでどの姿勢をとっても痛くて、 日常生活のなんでもない動作すら出来なくなりました。 当然自律神経もおかしくなり、さまざまな症状に悩まされていました。
阪神大震災の時のことでした。 当時親類が被災したために駆けつけた避難所で一晩過ごすことになったのですが、 体育館の中で固い床の上に敷いた布団で寝ようと思ったのですが、 神経が高ぶっているためか完全に目が冴えてしまって、 おまけに全身から冷や汗がしきりに流れ続けて、結局朝まで全く眠れませんでした。 その時に心理的ストレスが限度を超したのでしょうか、2,3日してからいつの間にか暗闇が怖くなったり、 部屋に一人でいることが出来なくなったり、エレベーターにも乗ることができないという状態になってしまいました。
またその日以来ほとんど眠れなくなってしまいました。 夜中の1時とか2時に目が覚めてしまってそれっきり朝まで目が冴えたままになるのでした。 眠れない日々の中で私は身体的にも精神的にも疲れ果ててしまいました。 夜中に家族が寝静まった中で考えることは、これまでのことやこれからの人生のことでした。 しかし心の中で浮かんでくることは、いやな思い出や暗い発想ばかりでした。
生きることは苦しいことの連続で、生まれてきたことは不運以外の何ものでもないと考えるようになりました。 いつしか私の顔から笑いが消え、少しのことでイライラするようになりました。そんな日々が2年くらい続きました。
そんなある日、大阪にある大きな書店の東洋医学書コーナーで代田文誌著「鍼灸治療の実際」という分厚い上下2冊の本を目にしました。 何気なく手にとって中をパラパラと見てみますと、さまざまな難しい病気や奇病の数々の治癒例が書いてあり、 それぞれの症例の解説の中に時おり代田氏の治療観や人生観が書かれていました。
代田文誌氏は明治33年長野県に生まれ、昭和19年より長野市で開業し、 数え切れない人の病を救い、日本の最高峰の鍼灸治療家として知られていますが、 私はその時はもちろん何も知りませんでした。
書店の中でその本を立ち読みしているうちに、全身に電流が走ったような思いがしました。 これが自分のずっと探していた道ではないかと思いました。 私は人の幸せにつながることや、出来れば人の苦しみを取り除くことで、 しかも人生を賭けられるライフワークが欲しかったのでした。 しかも間接的にではなく直接働きかけることができる仕事を求めていたのでした。 しかしそれが何であるのかがわからず、何年も心が満たされずにいたのでした。
私は書店で迷わず「鍼灸治療の実際」を買って、さっそく読み始めました。 そして読み進むにつれて、ついに自分の進むべき道が見つかったという思いで気持ちは高ぶりました。 頭や全身が熱く燃え立つようでした。 そして一気に分厚い2冊の本を読み終え、私は治療師になることを決意しました。
しかし今持っている仕事を捨ててその道に行くことに不安もありました。 この気持ちは一時的な興奮によるものではないかと、わざと自分の気持ちを疑ってみました。 あるいは気持ちはあっても、自分にはその才能も素質や適正がなかったらどうだろうかとも疑ってみました。
私は今の気持ちを確認するために1年間だけ待ってみようと思いました。 1年間この気持ちが変わらなかったら、この気持ちは本物だと思ったのでした。 1年たって変わらなければ、堂々とこれが自分の道だと信じて徹底的に取り組んでみようと思いました。
そしてその時からというものは、医学に関する本や民間療法や心理療法、 そして宗教関係の本にいたるまで、これはと思ったものは片端から読んでいきました。 そして1年たったときは治療師になるという気持ちがますます強くなり、 早く治療師になる勉強をしたいという思いが抑えきれなくなりました。
あれからもその気持ちは全く変わりませんし、 人の病や苦しみがどのようにしたら救われるかというテーマは、私の頭から離れることがありません。
代田氏は別の著書の中で、若いときに当時は不治の病と言われていた結核にかかって療養生活を送っていた時に、 いつかこの病気が治った時には自分は病で苦しんでいる人のために人生を捧げよう、 そして苦しむ人の友になろうと決意した、という事が書いてありました。 私は代田氏のような治療家になりたいと思いました。 この言葉は今も私の精神的指針になっています。
私は患者さんたちのおかげで支えられ、力を与えられているのです。

