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整体・鍼灸・健康のお話し

シリーズ 私の整体学

 

私の整体学3 整体と精神の世界(下)

愛情がもたらす治癒

 このような話もあります。
 ある研究室でウサギに毒薬を飲ませて何日で死ぬかという動物実験をしていました。他のウサギのグループは次々に死んでいくのに、あるグループの何匹かのうさぎだけがいつまでたっても死ななかったそうです。不思議に思った研究室の責任者が原因を調べたところ、そのグループのウサギの担当者がとてもウサギが好きで、毎日一匹ずつ抱き上げてそれぞれのウサギを15分くらいずつ愛情を込めてなでてあげていたということがわかりました。この担当者の愛情とスキンシップが、ウサギの免疫力を高めて、毒に打ち勝たせていたのでした。このことは人間の場合にも言えることです。生まれたばかりの赤ちゃんは愛情とスキンシップがないと、本当に生きていけなくなり、死んでいく場合があるといわれています。

 アメリカで実際にあった話です。ある黒人の親子がいました。母親がうっかり男の子の脚に大やけどを負わせてしまいました。男の子の脚の皮膚はひどいケロイドになって引きつってしまい、曲がってしまって普通に歩くことができなくなりました。母親は自分のせいで子供がこんなことになってしまったと、毎日毎日何時間も子供の脚をなでたりさすったりし続けました。すると何年かして少しずつ曲がっていた脚が、まっすぐになっていきました。そして15歳くらいの時に完全にまっすぐになりました。
 男の子は走ることができるようになり、高校に入った時に陸上部に入りました。そして中距離走でみるみる成績を上げていき、やがて全米チャンピョンになりました。
 奇跡のような話ですが、きっとこの少年は母親が毎日毎日脚をさすってくれていたことを、心のそこから感謝していたのだと思います。その母親の愛情に報いたいという思いもあったに違いありません。そして何よりもすばらしいことは、真の愛情は奇跡を生み出すことがあるということだと思います。
 愛情のこもった心や言葉そして行為や眼差しは、相手にも自分にも癒しと健康を与えてくれます。実際に身体や植物の細胞にも、目に見える結果を表すことがあることも、いろいろな実験でわかっているそうです。つまり心と体はその愛情に答えようとして、その愛情にふさわしい姿になろうとして、変化をし始めると言ってもいいと思います。

整体と精神の世界

 いろいろな研究をしていて、患者さん自身だけではなく治療をする側の人間の精神的なものも、患者さんの治癒に対して大きな影響を与えるということがわかってから、私の治療観(整体観)や治療師としての生き方や精神面について考えることが多くなりました。そういった本を読むことも多くなりました。
 今は亡くなりましたが、私が尊敬していた気功と整体の先生のことを書かせていただきます。
 和歌山県の熊野の山奥の自宅で治療をされていて、各地で気功と整体の指導もされている方でした。多くの人を癒し、たくさんの人から慕われていました。そばにいるだけでとてもきれいで柔らかなエネルギーをもらえるような方で、いろいろなお話しを聞いているだけでずっとこの先生のそばにいたいと思ってしまうような方でした。そして思い出すのは、治療費を受け取る時は合掌して受け取っておられることでした。
 その先生が私に話してくれたことを含め、私に大きな影響を与えてくれた「気」や整体についての考え方を、箇条書きにしたものがありますので、ここに紹介させていただきます。

「気」と整体について

  • 天からの「気」が自分の体を通って、相手の体の中を流れていくというイメージを行う。
  • 相手の中を「気」が通りながら、調子の悪いところをすべてきれいにして出て行く。それがまた天に上がって、さらに浄化されるというイメージを持つ。
  • 自分と相手が、一緒にきれいにされている、一緒に癒されているというイメージを持つ。
  • 目を閉じて、白くて明るい光をイメージする。できれば金色がいいが、イメージしにくい場合は太陽の光のような白い光をイメージすれば効果を出せる。タカツカヒカルもそのようなイメージでヒーリングを行っている。
  • 白い光が自分と相手を一緒に、柔らかく、温かく包んでいるイメージ。
  • 相手の体が白い光の固まりになって、光が体の形になっているイメージ。
  • 心の中で相手の体の悪いところに向かって、「いつも身体のためにがんばっていてくれて、ご苦労様です。いま少し休憩してくださいね。すぐに楽になりますからね。」とか「いつも無理してがんばって、そのためにこんなに痛んでくれたのですね。本当にありがとう。そんなあなたのことがとっても好きですよ。お友達になりましょう。」というように心の中で語りかける。すると相手の体の中にある細胞や水が、必ずその気持ちに反応してくれるに違いないと信じること。
  • 時々手を当てている部分の奥にある筋肉が、微妙に動いて反応することがある。身体か自ら治ろうとしていると考えられる。