2.心の問題に自信が持てなくて
「先生はなぜこの道に進もうと思ったのですか?」と、時々患者さんから聞かれます。
なぜこの仕事をしているのか、この質問は私にとっても改めて問い直し、ともすれば初心を忘れて違う方向に外れていきそうな自分を正すためにも、大切にしたい質問なのです。
ある科学者がこう言ったそうです。
「もし心や魂の重荷が解決されたら、世の中の入院患者の80%は退院できるだろう。」
ということは、どんなに治療技術を極めても、あらゆる手段を講じても、20%しか癒すことはできないということです。
逆に言えば、その人の現在抱えている症状や痛みの程度を100とすれば、心や魂の問題を解決することによって、20の程度にまで癒すことが可能だということになります。
残りの20は自然治癒力が少しずつ癒してくれることでしょう。
正直に申しますと、私が治療師になろうと思ったころは、心や魂の問題というものはどうにもならない分野だと思っていました。
私は心理カウンセリングや精神医学の勉強をかなりしましたが、いくら勉強したって解決など見出されないと、心の奥底では思っていたのでした。
だから体を癒すことで痛みを楽にしてあげれば、その分だけ心も楽になるはずだから、それを私の仕事にしようと考えていたのでした。
私はそういう気持ちで、治療師になろうと思ったのでした。
治療というものは心の問題抜きには考えられないはずなのにです。
それほど私は心の問題について、光も希望も持つことができないのでした。
その後私はあることがきっかけで、キリスト教と出会いました。
キリストへの信仰を持たなければ、この仕事を続けていく自信が持てなくなったからです。
癒しの仕事がしたいと言いながら、自分自身が癒されていなかったのでした。
そして幸せにつながる仕事をしたいと思って、この仕事を選んだつもりでしたが、本当は逆だったのです。
この仕事をしているうちに、私は患者さんによって喜びを与えられ、教えられ、そして心の深い交流を与えられていることがわかったのです。
実は患者さんによって、私自身が癒されているということがわかりました。
患者さんは私の大切なお客様であり、私を助けてくれる大切な教師であり、一緒に苦しみを乗り越えていく大切な友なのでした。
信仰を持ってからは、少しずつこの仕事と自分の人生に対する見方が変わってきました
治療師の資格を取ったとき、将来はキリスト教を前面に出した治療院を作りたいという夢を持つようになりました。
「神が癒し、私は包帯を巻く」という古代ギリシャ医学者の言葉がありますが、私もこの精神に倣って神の道具としてこの仕事に携わりたいと思っています。
私に6年遅れて妻がキリスト信仰を持った時、ついに時が来たと思いました。
私は治療室の壁に十字架と聖書の一節を書いた額を掲げました。
―――この治療院にどうか神がともにいてください。
ここ来られる方に神の癒しがありますように。
そして私を神の助手として働かせてください。―――。
クリスチャンでない人にとっては理解しづらいかもしれませんが、これが私の治療師としての願いなのです。
そして毎朝まだ誰も来ない治療室で、妻と一緒に聖書と祈りの時間を持つことで、一日をスタートすることにしているのです。。
<<戻る 次へ>>