Web喫茶シャローム
もくじに戻る
内観と信仰の物語 −心病む日々からの蘇生−(上)

内観と信仰の物語 −心病む日々からの蘇生−(下)

 6.内観3日目 氷の溶けはじめ

  内観3日目に入ると少しずつ過去の記憶を思い出すことができました。
  氷は温度が低ければ低いほど、融け始めるまで時間がかかるのと同じように、心の奥底で冷たく固まったものは、3日目にしてやっと融け始めたのでした。

  『幼年時代の母に対する自分』を調べる時間でした。
  僕は高い熱が出ていました。その時は夜で雷が鳴っていました。母は僕をおぶって雨の中を医者まで走っています。時おり稲光が襲いました。

  母は学習教材を必ず買ってくれました。自分は集団就職によって中卒で出てきたので、子どもにだけは勉強をさせたかったのでした。その他にも母からしてもらったいろいろなことが思い出されてきました。母は私のことを大切に育ててくれたのでした。

  それからは次々にいろいろなことが思い出されてきました。
  父親からお世話になったこと、して返したこと、迷惑をかけたこと。
  その次は兄、そして妻・・・。

  妻には本当に迷惑をかけ続けてしまった。
  そんな僕に妻は愛想をつかすことなく、本来ならとっくに愛想を尽かしてもいいほどの自分のような男を、妻は支えてくれていたのでした。

  思い出すたびに泣き続けました。1時間半おきにやってくる面接の所長に、そうした話をしながら泣き続けました。普通なら一生かかるくらいの涙を、この一週間で流してしまったくらいでした。

TOPへ

7.内観4日目と5日目 断食そして懺悔の祈り

  内観では一週間の間風呂の時間と朝の掃除の時間以外は、ずっと豆電球だけで薄暗くした部屋の中からは出られません。
  食事も一人で取りますが、その時間は館内放送で内観体験者の話や吉本伊信氏の講演のテープが流れてきます。
  死刑囚が刑務所の中で行なわれた内観によって、良心が目覚めたという体験や、会社の社長が内観によって社員の気持ちがわかるようになり、優良企業になっていったという話などがありました。
  その中で睡眠と食事を一切やめて、生死を賭けて内観している人のテープがありました。
  3日目4日目、そして1週間と次第にその人の声や話し方が変わっていく様子が流れています。
  その人の話をずっと聞いて、僕も本当に自分を変えることができるまで断食しようと思いました。
  所長の奥さんが『無理しないで下さいね。食べたいと思ったときに食べてくださいね。』と言って食事を屏風の前に置いていって下さいましたが、僕はそれから断食をして内観を続けました。

  断食しながら過去のことを思い出しました。
  僕は小学校時代に5回転校をしました。せっかくクラスになじんだと思ったらまた転校で、新しい学校にはいつも転校生いじめをするいじめっ子が待っていました。
  僕はそのたびにやりかえすのですが、心はだんだん荒んで行きました。
  何回も転校を繰り返すうちに、やがて僕はかつて自分がされたように他の生徒をいじめるようになりました。
  それだけでは飽き足らず、学校の中やスーパーで物を盗んで行きました。
  そして平気で嘘をつくようになりました。
  そして家では黙っていて、外では手のつけられない悪い生徒になっていきました。

  少年時代のそんな日々のことを思い出しました。僕はすべてを転校のせいにしていました。転校さえなければすべてが順調にいっていたはずなのに、何度も転校させられたために心も人生もズタズタにされてしまったと思っていました。
  僕が物心ついた頃から、両親の仲は最悪でした。
  幼い頃の記憶は、茶碗が投げられちゃぶ台がひっくり返され、父親のものすごい憎悪に満ちた目と怒鳴り声、そして母がたたみに伏して泣いている光景がほとんどでした。
  こう言うと僕の父親は何て悪い男だろうと思われるかもしれませんが、そうならざるをえなくなるほど父もまた心をぼろぼろに傷つけられた人間なのでした。
  父は家の中ではそんな具合でしたが、外では決して悪いことはしませんでした。
  むしろ社会や会社の不正によって傷つけられた怒りと憎しみが、家の中で爆発しているのでした。

  僕は両親が自分にしてくれたことを思い出しました。
  両親は若くして子どもを産んだので大変だったはずです。相談できる相手もなく、両親も苦しみながら生きていたのでした。
  そんなことは十分わかっているつもりだったのに、僕は自分が苦しくなると過去のことを恨み、すべてを過去のせいにするようになってしまったのでした。

  申し訳ありませんでした・・・・僕は暗い屏風に囲まれた狭い中で、これまでに迷惑をかけた人たちに土下座しながら謝り続けました。
  そして小学生時代に傷つけてしまった同級生たちに対してお詫びをし続けました。
  今頃こんな所で一人だけで謝っても何の解決にもならないと思いましたが、それ以外に自分にできることがないのでした。自分がしてしまったひどいことを思い出しては泣き続けました。そして一人一人にお詫びしました。どうかその人たちの心の傷が癒されますようにと祈りました。
  もし今でもそのことが心の傷として残っているのならば、神さまどうかその人をお守りください・・・・。その人に豊かな祝福をお与えください。幸せな人生をお与えください。

  それから3日間、僕は迷惑をかけた人を可能な限り思い出して、その人たちのために祈り続けました。赦してもらうことなどできなくても、僕はその人たちの幸せを祈り続けたいと思ったのでした。

  ・・・・やがて少しずつ心が楽になり、心に平安が訪れるようになりました。

TOPへ

8.内観6日目 感謝の祈り

  心が落ち着いてくるのにしたがって、ここに来たことは意味があったのだと思えてきました。
  もし失業していなかったら、僕は内観に出会うことはなかったはずです。たとえ出会ったとしてもここには来なかっただろう。そしてここに来なかったら、あのままずっと闇の中を生きていたことだろう。

  生きることに意味があるか、なぜ生まれてきたのかということで長い間悩んできましたが、自分自身の対人関係の歪みからくる苦しみが加わったために、通常以上の苦しみになってしまったのかもしれません。
  人や社会や過去のことを恨み続けるよりも、自分自身の罪や歪みを正さなければ、僕は一生苦しみから逃れられないと思ったのです。

  内観によって今自分は救われたのだと思いました。
  外見的には自分はここに来る前と何も変わりませんが、この1週間で中身は確かに変わったのです。
  自分は何もできないかもしれない。しかし祈ることはできる。祈ることでたとえ大海の一滴であっても、その分だけでも何かは変わると信じて生きていこう。
  そして自分と同じような苦しみを抱えている人には、自分の体験を話して内観を紹介していこうと思いました。

 ふと、今の自分はそのことがわかるためにここに来たのではないかと思いました。
 そのために自分は失業したのではないかと思いました。
 幼い頃からの出来事も、そのために必要なことだったのではないか・・・・・

  「イエス・キリストはあなたを罪から救うために十字架で死なれた」という言葉が頭に浮かんできました。
  僕は十字架の意味は頭ではわかっているつもりでも、実感としてわからずに悩んでいたのでした。
  そして実感としてわからない十字架の意味が、キリスト教の一番の核心なのでした。
  だから教会に通っていても、いつもこの部分でひっかかって、もしかしたらいつの日か自分はキリスト教をやめることになるのではないかという思いがいつもあったのでした。

 今この暗い部屋の隅で、イエス・キリストはこんな自分のために、苦しみの底にある一番深いところで僕をずっと待っていて下さったのだ。
  キリストは人間の手の届かない、はるかかなたの宇宙におられる存在ではないのだ。
  『この自分を救うために十字架で命を捨てて、そして人生をやり直すことができるようにと、新しい命を与えてくださった。』とはこのことだったのではないか。
  ・・・・・『十字架は自分のためにある』とはこのことだったのだ。

  わたしはやっとキリストの十字架の意味がわかったように思いました。
  神さま、・・・・ここまで私を導いてくださったことを感謝します。

 私はここで一度死んだのだと思うことにします。
 そして再び新しい命を与えられたのだと思います。
 もう一度やり直します。
 どうかこれからも、私を導いてください。

  僕は喜びと感謝の気持ちが吹き出すように湧いてくるのを、抑えることができませんでした。
  確かに一気に心の状態が変わって、一時的に気持ちがハイになっていたところもありますが、このときの気持ちはその後もずっと僕の信仰の基盤になっています。
  このときの体験がなかったら、今の自分はありません。

TOPへ

9.内観修了の朝 その夜家族で観た花火大会

  一週間の内観が修了し、久しぶりに外の空気に触れました。空は青く晴れ渡ってまぶしかったです。玄関先で所長夫妻とお別れの挨拶をしました。また涙が出てきそうになって、必死で笑顔を作りました。

  家に帰って妻にこの1週間のことを全部話そうと思っていたのですが、これから時間をかけて少しずつ話していくことにしました。

  その日の夜に花火大会があることを知って、僕は家族で一緒に観に行こうといいました。
  本当に久しぶりに家族で華やいだ気分になりました。
  フィナーレが来て次々に夜空に花火が広がりました。
  喜ぶ家族の横顔を見ながら、自分は本当に変わったのだという実感が湧いてきたのでした。(終了)

TOPへ

10.解説:内観療法とは

  内観はノイローゼ、鬱、性格や生き方などの問題で悩みを抱えておられる方に、ぜひお勧めしたい精神・心理療法です。
  内観によって一人でも多く心の苦しみから解放されますように、また内観を体験された方が、その後も効果を維持できるように、お祈りさせていただきたいと思います。

  ところで内観は日本で生まれたもので、非常に優れた心理療法として、精神病院や刑務所の矯正教育にも用いられているところが増えています。また心理療法以外にも社員の研修として内観を体験させている企業もあります。そして心理学者、教育学者、精神医学者による研究も盛んになり、海外にも少しずつ広がっています。

  内観はもともと浄土真宗から生まれたものですが、昭和20年代に吉本伊信という人が、一般人への普及のために宗教色を一切除外して、今の形に整えました。内観については詳しい資料や書籍がたくさんありますので、関心をお持ちの方はそちらを読んでいただいた方がよろしいかと思います。

  吉本氏は内観を信仰の基盤を作るものだと語っておられます。
  実際内観によって信仰の基盤となるものが整えられたと感謝されている方はたくさんおられます。また信仰を持っているいないにかかわらず、「お世話になった方への感謝の気持ち」や、「自分自身がそれに対して何かして返した事はあっただろうか」、「迷惑をかけたことはなかっただろうか」、といったことを振り返ってみたときに、はっと気づかされることは誰にでもたくさんあるはずです。
  この気づきこそ人を正しい道に連れ戻し、幸せな人生を歩むために絶対に必要なことではないかと思います。
  しかし心が病んでいる時や、怒りや憎しみや悩みなどで心が一杯になっている時には、お世話になったことや迷惑をかけたことはなかなか思い出せないと思います。
  逆に言えば思い出せた時は、心の癒しが始まった瞬間だと言っていいかもしれません。

  内観では両親や兄弟、身近な人に対する「お世話になったこと」「してかえしたこと」「迷惑をかけたこと」を、幼い時から一つ一つ丁寧に思い出しながら自分自身を調べていきます。1日に15時間ほど、本やテレビや電話はもちろんのこと外出も一切禁止して、トイレと風呂以外のとき以外はすべて、豆球1つの薄暗い部屋の片隅に作られた約1メートル四方の屏風の中に座ります。それを6泊7日かけて行います。

  最初の2、3日間は慣れるのに苦しむ人が多いということですが、それを過ぎた頃から心が落ち着き、『お世話になったこと』や『迷惑をかけたこと』が思い出されてくると言われます。長い間忘れていた記憶が蘇るとともに熱い心が胸にこみ上げてきて、涙と共にあふれ出てくるのです。
  その時から、心の奥深くに氷のように冷たく固まっていたものが少しずつ融かされて、長年掃除していなかった心の中のごみのようなものも涙と共に流されていくのです。

  そういったことが何度か繰り返されていくうちに、長年苦しんできたトラウマや、まるで糸がもつれたように解決できなかった苦い想い出がほどけていくのです。

  ただし内観をしても思わしい効果がなかったという人もおられます。
  そういう場合には、すぐには変化が訪れなくても、結果が出るまであきらめずに内観をし続けようと考えることもできると思います。堅い氷も、温め続ける限りいつかは融け始めるはずだからです。
  内観し続ける限り、いつか変わると信じることも心の治癒にとっては大事なことかもしれません。

  もし信仰を持っている人なら、自分が変わるまで、あるいは心の病をお持ちの場合はそれが治るまで、祈り続けることも出来ると思います。

  どんな人間にも、すばらしい性質や愛や人間的な強さはあると思うのです。
  ところが心に傷がついてしまったために、人の好意や愛を受け止めることが出来なくなり、あるいは愛情をうまく表現できなくなっていることはあると思います。
  自分が変わる瞬間というのは、努力して変えたのではなくて「もともとあったすばらしいもの」が出てくる瞬間ではないかと思います。
  ということは自分が変わるためには、変えようと努力するよりも、本来の輝きを覆っているものを取り除くことがポイントではないかと思うのです。

  内観をして人間が変わっていった人の体験を読んだり聞いたりしていますと、内観している時に心を覆っていたものが、ある時ピシっとひびが入るような瞬間があるように思います。
  そして覆いの下に隠れていた素直ですばらしい人間性が、ひびのすきまから少しづつ出てくるようすが伺えます。
  心の変化や治癒はその時に始まるのではないかと思います。

  今この文章を読んでいらっしゃる方で、もし必要を感じるという方がおられましたら、ぜひ内観研修所に行ってみられてはいかがでしょうか。
  だめでもともと、もしかしたら効果があるかもしれない、くらいに思って行ってみるのもいいと思います。
  この物語の人物は、「他の人は治っても自分はもしかしたらだめかもしれない。上手くいっても3割くらい良くなったらいい方かもしれない。しかしそれでもかまわない。これに賭けるしかない。」と考えて内観に行きました。もし治らなかったら治るまで何度でも研修所を訪ねようと考えたといいます。
  しかし物語にあるように、たったの1週間で本当に信じられないことですが、長年苦しんでいた症状が消えていきました。

  もちろんどの程度消えたかはわかりませんし、また何かの折にぶり返すこともあります。行っても効果のない場合もあるかもしれませんが、チャレンジするだけの価値は十分あると思います。
  もちろん心の病や悩みといった問題だけではなく、人間的に成長したいという目的でも、きっと行って良かったと思っていただけると信じています。

  それから内観に行ってせっかく感動と感謝の気持ちが生まれたと思っていたら、日常の生活の中でそれが冷めてしまったり、いろいろな問題でもまれているうちに元に戻ったりすることがあります。
  内観は、終わってから以降の日々の内観が大切だといわれています。

  信仰を持っていることのありがたいことは、祈ることが出来ることです。
  内観に行ってしばらくするとまた心の中にゴミがたまってきますので、定期的に心を掃除するためにも内観が必要になるとおもいます。
  それは短期間の内観に行く方法もありますし、自宅で行なう場合は心にたまるゴミを紙にすべて書き出していくことで心を整理しながら内観することも可能です。
  信仰を持っている方でしたら、心が苦しくなった時にはそれらを紙に書くことですべてを吐き出して、このような悪い考えや悪い想い出がもう自分を苦しめることのないようにと祈るのもいいと思います。

  詳しいことは大きな書店や図書館に行けば「心理療法」というコーナーにきっと何冊かの内観の本があると思いますので、それをお読みいただくのがいいと思います。
 またパソコンをお持ちの方でしたら、「内観」という言葉でホームページを検索していただければ全国の内観研修所の案内や体験談も読むことが出来ます。
  内観はどんなものか知っておくだけでも、大きな精神的財産になることは間違いないと思います。

  もし内観に行かれた方はご連絡をいただければ嬉しいです。
  よろしければ一緒に体験を語り合いたいと思っております。

戻る

TOPへ



もくじに戻る 次へ

(C)Nanto-shinkyuin. All rights reserved.