フランクル著『それでも人生にイエスと言う』(山田邦男/松田美佳訳 春秋社刊)より
フランクル著『それでも人生にイエスと言う』から大切なエッセンスを紹介してまいりましたが、最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。
内容的にとても1946年に書かれたものとは思えないと感じられた方も多いと思います。それほど「生きる意味」はどの時代にも共通の、真剣に探求されているテーマであると思います。
フランクルの「人生の意味」に対する考え方は、あくまでフランクル自身の考え方でありますが、私にとって大きなインパクトを与えてくれた本でした。これほど真剣に、そして真正面に人生の意味の探求に取り組んできた著述者は少ないだろうと思いますし、深い闇の中からじっと人生を見つめ続けてきた人間から発することばは、非常に説得力を持って心に響いてきました。
私自身もこのテーマは、長い間いつも心の一番深いところで引っかかっていましたので、一気にこの本を読んでしまいました。そして新しい視野が開けた気がしました。
人生の意味はもしかしたら、フランクルの言うように捜し求めても答えが得られないものかもしれません。今自分のおかれた状況の中で最善の生き方を探して、その中でやれることを精一杯やっていく中で、自分なりの答えというものが得られるのかもしれません。
話は変わりますが、毎年夏の終わりに24時間テレビという番組で、芸能人の100キロマラソンをやっています。ゴールに向かって苦しみに耐えながら、体力の限界をとっくに超えていながら、一歩一歩近づいている姿はいつも感動させられます。明日から私もがんばろうという気になります。あれがもしスイスイと気持ちよさそうに走っていたら、そういう感動は得られないかもしれません。脚の痛みを我慢しながら、苦しみに顔をゆがめながら、そして歩いた方が速いくらいのスピードで走っているからこそ、それが希望と勇気と生きるエネルギーを与えてくれるのだと思います。
私の知り合いの、ある人がこんなことを言っていました。
「人生には必ず苦しい時期が何度かあります。投げ出したくなる時もあると思います。そんな時に、なぜ生きていかなければならないのかという疑問を感じることでしょう。私はそんな時、自分自身を持ちこたえるためにあることを考えます。それはいつの日かこの苦しみを社会や人のために役立てたいという思いです。自分と同じような苦しみを抱えている人たちのために活かしたいと思うのです。それは私なりの生きていく意味と言えるかもしれません。
だから苦しくてもいつかそれを乗り越えて、ゴールにたどり着きたいという夢だけは捨てないで、歩き続けようと思っています。しんどくなったら時々休んでもいいし、死んでしまいたいと思うことだって、人間ですから一度や二度はあると思うのです。だけどその時期はいつまでも続くことはないでしょうし、しばらくしたらまた歩き出せる時がくると思うのです。一歩でもいいから前進することだけ考えて、私は生きていきたいと思っています。」
こうしたテーマで書いていきますと、たくさんいろいろなことが思い出されてきます。きっと私は死ぬことよりも生きていくことを選んだ人間だからだと思います。
以上で「生きる意味の探求」を終わらせていただきます。ここまで読んでくださいましたことを感謝します。
人生についていろいろと考える時の、何かの参考になっていただけたら嬉しく思います。 |