Web喫茶シャローム
もくじに戻る
生きる意味の探求6

フランクル著『それでも人生にイエスと言う』(山田邦男 /松田美佳訳 春秋社刊)より 

P. 94   「不治だと考えられていて完治した精神病患者の例」より
 ある精神病院にひとりの若い男性が入院していました。その男性は、いわゆる制止状態にありました。まる5年間の間一言も発せず、自発的に食事を取ろうともしなかったので、人工的に、鼻から通したチューブで栄養を与えなければなりませんでした。来る日も来る日もベッドの中だったので、脚の筋肉組織はとうとう萎えてしまいました。・・・・さて、のちに起こったことが、その答えになったことでしょう。ある日、この患者さんは、さしたる理由もなく、ベッドの中で身を起こしたのです。そして、ふつうのやりかたで食事をとりたいと看護人に求めたのです。また、歩く練習を始めるためにベッドから引っ張り出してほしいと頼んだのです。それ以外の点でも、まったく正常に、彼の状態でできるかぎりふつうにふるまっていました。だんだん、脚の筋肉も力を取り戻し始め、患者さんが「完治して退院」できるまで、ほんの数週間しかありませんでした。それからすぐ、またもとの職場で働き始めたばかりか、ウィーンのある市民大学でも講義をはじめました。しかも、以前に出かけて、すばらしく美しい写真を何枚も持ち帰った外国旅行や登山について講義したのです。

 ある時彼は、精神医学の専門家たちが集まる小さなうちわだけの集まりでも話してくれました。病院にいた五年間の極限状態での内面生活について講演するよう、私が招待したのです。

 さてその講演で彼は、当時のいろいろな興味深い体験を話してくれました。精神医学でよくいわれる外面的な「動きの乏しさ」のかげに当時隠れていた心の豊かさを垣間見せてくれただけではありません。「舞台裏の」出来事のたくさんの興味深い詳細も垣間見せてくれました。それは、それほど良心的ではない医者、回診のときにしか姿を見せない医者には予想もできないような出来事だったのです。患者さんは、何年もたっているのに、ちょっとした出来事でもおぼえていました。――――まことに気の毒ながら、患者さんが治って覚えていることを明かすだろうとはたぶんまったく考えていなかったと思われる一人二人の看護人のことも、です。


前へ もくじに戻る 次へ

(C)Nanto-shinkyuin. All rights reserved.