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生きる意味の探求5

フランクル著『それでも人生にイエスと言う』(山田邦男 /松田美佳訳 春秋社刊)より 

P. 84 「 外面的な成功と内面的な成功」より
 もう明らかだと思いますが、外面的に不成功に終わったり世の中で失敗したりしても、病気と死から得られる意味がそこなわれることはありません。内面的に成功するかどうかこそ問題なのです。そして、その内面的な成功は外面的な成功がなくても成り立つのです。また、もしかするとこれも明らかなことかもしれませんが、外面的な成功ではなく内面的な成功が問題だというこのことは、特殊なケースにだけ当てはまるのではありません。それは、すべての人の人生に、しかもその全生涯に適用されなければならないことなのです。というのは、成功とは外面的な成功のことでしかないと考えると、だれの人生も最終的には、ある意味で不成功で終わるからです。

P. 87   「ある死刑囚の例」より

 私のもっとも強い印象に残っている例でいえば、ひとりの強盗です。牧師さんはその強盗と、処刑の前の晩に、死刑囚用の独房ですばらしい対話を交わしてくれたことを話してくれました。その囚人は、いまとなっては自分の短い人生のすべてがむだだったのではないか、といって牧師さんに問いつめました。けれども、牧師さんは、死刑囚の堅信礼の格言「生きるとき、私たちは主のために生き、死ぬとき、私たちは主のために死ぬ」を模して、有意義に、つまり「主のために」生きるチャンスは逃したけれど、有意義に、つまり「主のために」死ぬチャンスはまだあると諭したのです。それから、牧師さんは、その強盗にいったことばをくりかえしてくれました。

「神の御ことばを心に響くように生き生きと語ることは、私には難しいことです。けれども、もしかすると、次の日曜日に説教壇に上がる時、私の教区の人たちはこう思うかもしれません。いったい、きょうの牧師さんはどうしたというんだろう。きょうはいつもとぜんぜん違う。説教が心に響いてくると。私にはその理由がわかっています。それはあなたです。あなたが、勇敢にきっぱりと死に向かっていったすがたを見とることができたからです。主の御ことばがあなたに働きかけ、主のために生きたことがなくても、主のために死んでいくのを見とることができたからです。」


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