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生きる意味の探求3

フランクル著『それでも人生にイエスと言う』(山田邦男 /松田美佳訳 春秋社刊)より
 
P. 33   「体験で人生を意味のあるものにする」より
 人生が出す具体的な問いに責任を持って応答するなら、人生を意味のあるものにできるのは活動によってだけではありません。行動する存在としてだけでなく、愛する存在としてだけではなく、愛する存在としても、美しいものや、偉大なもの、善いものを愛しそれに身をささげることによって、人生のさまざまな要求を満たすことができるのです。・・・・あなたは、コンサートホールにすわって、大好きなシンフォニーに耳を傾けているとします。そして、いままさに、このシンフォニーの大好きな小節が耳に響きわたっているところです。あなたは、背筋がぞくっとするほどの感動に包まれているとします。そこで、想像していただきたいのです。心理学的には不可能でも、思考実験は可能だと思います――――その瞬間にだれかがあなたに「人生には意味があるでしょうか」とたずねるのです。そのときたった一つの答えしかありえない。それは「この瞬間のためだけにこれまで生きてきたのだとしても、それだけの甲斐はありましたよ」といった答えだと私が主張しても、みなさんは反対されないと思います。・・・・ひとりの人間を体験した人にしてもおなじことなのです。ある特定の人を目の前にして心をとらえるあの感情、言葉で表現すると、「こんな人がいるだけでも、この世界は意味をもつし、この世界の中で生きている意味がある」とでもいいたくなるような感情は、誰もがよく知っています。・・・・たとえ無意味に思えても、命をささげるような人たちがいるうちは、この世の中もひどくはないのです。この世の中にそういう人がいるうちは、生きる意味があるのです。

P. 47   「いつかは死ぬからこそ、なにかやろうと思う」より
 けれども、私たちはいつかは死ぬ存在です。私たちの人生は有限です。私たちの時間は限られています。私たちの可能性は制約されています。こういう事実のおかげで、そしてこういう事実だけのおかげで、そもそも、なにかをやってみようと思ったり、なにかの可能性を生かしたり実現したり、成就したり、時間を生かしたり充実させたりする意味があると思われるのです。死とは、そういったことをするように強いるものなのです。ですから、私たちの存在がまさに責任存在であるという裏には死があるのです。


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