―― フランクル著『それでも人生にイエスと言う』より ――
【はじめに】
私は諸富祥彦氏の著書が好きで、何冊か読みました。その中でも『生きていくことの意味』はとりわけ好きな本です。その中で次のようなくだりがあります。
「私は、十代半ばから二十代前半にかけて暗黒の青春時代を送っていました。
“どう生きるべきか”“どう生きればよいか”わからず、悩み苦しむ毎日。どれほど問うても答えが得られず、半ば自暴自棄のまま、時間ばかりが過ぎていく。
自分のことが信じられず、他人のことが信じられない。いや、信じる信じないの前に、自分や他人、さらには人間の存在そのものを嫌悪していた。・・・・生きていることに意味などない。自分という醜い存在、人間という醜い生き物が生きていること自体許せない。自分を、そしてできれば、人類そのものを滅ぼしてしまいたい。
十四歳から二十二歳にかけての私は毎日のようにそんな衝動に駆られており、自殺を企てたことも一度や二度ではありません。・・・・そんな苦しみの極限で、私を救ってくれたものの一つが、フランクルの次の言葉でした。
『人間が人生の意味は何かと問う前に、人生の方が人間に問いを発してきている。だから人間は、ほんとうは、生きる意味を問い求める必要なんかないのである。
人間は、人生から問われている存在である。人間は、生きる意味を求めて問いを発するのではなく、人生からの問いに答えなくてはならない。そしてその答えは、人生からの具体的な問いかけに対する具体的な答えでなくてはならない』
フランクルはナチスの強制収容所での体験をもとに『夜と霧』を執筆し、ヤスパースはこの本を、今世紀の最も重要な書物の一つであると語りました。またアメリカ図書館協議会の発表によれば、この本は歴史上で最も多く読まれた十冊の本のうちの一つに入るとされているそうです。
そのフランクルが心理学者、精神医学者として、生きる意味について真正面から論じたのが、「それでも人生にイエスと言う」という本です。(1946年の講演内容)
諸富祥彦氏がフランクルによって救われたと書かれていたので、私はこの本をさっそく読んでみました。この本の解説にこうありました。
「たとえば、無気力、無感動、無目的という、意味を失った米国の大学生の数は、今日その総数の80%にも上り、また、米国の十代の子供たちの五十万人以上が自殺を企画している。・・・・このような現代の精神状況の中で、フランクルの思想はますます重要になってきているといえるであろう。」
フランクルが語っていることについて私が変にまとめたり、解説をしたりする必要はないでしょう。「それでも人生にイエスと言う」の中から、重要なエッセンスを抜粋したものを、「生きる意味の探求2」から連続でまとめてみましたので、ぜひとも読んでいただきたいと思います。人生の意味を真剣に考えておられる方や、あるいはさまざまな事情で今とても疲れていらっしゃる方にとって、きっと何かの参考になるかと思います。 |