鈴木秀子著『愛と癒しの366日』海竜社刊
第1回に続き、『愛と癒しの366日』を読んでいきたいと思います。
私はもちろん著者には会ったことはありませんが、鈴木秀子氏の本は何冊か読んだことがあり、いつも心が満たされる思いがしています。
P.94には愛知県で迷子になった犬が、広島に引っ越した主人を探してやってきたとても感動する話があります。
それでは引き続きいくつかの章をご紹介いたします。
P.89 3月20日 これも捨てよう あれも捨てよう
春になって足どりが軽くなります。美しい言葉を口ずさんでみたくなったりします。
空のように きれいになれるものなら
花のように しずかに なれるものなら
これも捨てよう あれも捨てよう (八木重吉)
ゆっくり繰り返しているうちに、心がのびのびしてきます。ほんとうに、これも、あれも捨てようという気になってきます。なんと、捨てるものが多いことか。そして、捨てていいものに、長い間、執着し、またそれらに、しばられてきたことでしょう。「値なきものとして」と言い切れる勇気が心のそこから湧いてきます。
空のように、きれいになれるものなら、私もほんとうにそうなりたいと思うのです。
P.92 3月23日 仏様の笑顔にエネルギーをもらう
ある老人専門病院では、そこに勤める看護婦さんたちが出勤すると、一人のおばあちゃんの所に顔を出すのが一種の儀式のようになっていました。
そのおばあさんはアルツハイマーで、何もかも忘れてしまっているのですが、いつも、にこにこしていて、「ありがとう」と、それだけを機械のように繰り返すだけです。
老人看護の厳しい状況の中、働く看護婦さんたちは、仏様のような、おばあさんの笑顔にエネルギーをもらっているということです。
P.94 3月25日 時を超え、場所を超えて、通い合う心
私の友人が東京から広島の田舎の方へ引っ越すことになりました。愛犬の柴犬タローを車に乗せて家具と一緒に大移動していきました。
途中、愛知県の高速道路のパーキングエリアで停車中に、大事な犬のタローがいなくなってしまったのです。方々探しましたが見つからず、しかたなく、そのまま、広島へと向かいました。
新居に落ち着き、タローのこともいつしか忘れてしまいました。三ヶ月たった時、玄関の外で大きな音がしました。
タローが痩せて傷だらけになって、倒れていました。タローは家族に再会した喜びでシッポをふっています。以前の足の怪我からも、それはまぎれもないタローでした。
心の通い合いは、時も場所をも超えるものです。きょう、あなたもタローになって、思いの内で、自分がしばらく忘れていた人、絆の深かった人を訪ねてみましょう。
P.140 5月7日 素直さこそが癒す力
判断や批判をしないで、親身でその人の立場になって聞いてくれる人がいれば、人は誰でもだんだんに自分の本当の姿に触れていきます。
多くの場合、苦しむ人は、まず、どんなに他人が悪いか、どんなに自分ばかり運が悪いかをとことん話します。
それを言い尽くすと、今度は、自分も悪かったと気づきます。
そして自分でも思いがけないような自分の暗い部分を見始めます。
いままで自分をがんじがらめにしてきた、怒りや恐れ、不安、自責の念、挫折感や恨みなど、また、ひたかくしにしてきた自分の欠点、恥、失敗その他いろいろな否定的な感情を素直に話し始めるのです。
この素直さこそ自分を癒す力なのです。
P.200 7月3日 もっともっと深い幸福があります
私たちは辛いこととか、いやなことが何ひとつなく、物事が自分の思い通りにいきさえすれば幸福であると考えがちです。
しかももっと深い幸福があります。辛いことや思い通りにいかないこと、そういった状況こそ人を磨くチャンスです。
そうした状況を経て、人の気持ちがわかるようになり、人生の深い味わいを知るようになります。
そして、通常では見られない幸せというものが存在していることを見抜くのです。
P.204 7月7日 素晴らしい奇跡
自分自身や人生の流れを本当に変えることができるのは、不治の病が治ったとか、収入が多くなったといった目にみえる変化ではなく、目に見えない意識の大変革です。
たとえ不幸なことであろうと、何かのきっかけで恨みが許しに、不満が感謝に、不幸な出来事が恵みと受けとめられるように、価値観が切り替わったとき、その人の中では、素晴らしい奇跡が起きているのです。
そしてこうした悟りは、平凡な人生の中で、私たちの想像する以上に起きているのではないでしょうか。 |