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内観と信仰の物語 −心病む日々からの蘇生−(上)

 この物語は長年心を病んでいた人間が内観によって回復する過程を描いた物語です。
 彼は苦しい日々の中で内観療法に出会いました。それは一週間の合宿による精神療法でした。

 この物語は体験者の実話をもとに一人称の形で書いていますが、いろいろな人の体験を織り交ぜながら構成したフィクションです。
 しかし心の回復の過程や変容は事実であり、この物語を読めば内観がどんなものか十分にわかっていただけると思います。

 内観で心の病が短期間で回復するケースは多く見られますが、効果には個人差がありますので回復しにくいケースもあることをご了承ください。
 しかし生きることに疲れ、前途に絶望と闇しか見えないような時に、このような治療法があるということを知っているだけでも、何かの希望になるかもしれません。
  この物語が少しでもお役に立つことが出来れば望外の幸せです。

1.少年時代から死にたいと思っていた

 僕は自営業で小さな事務所を開いておりました。しかし開業して3年目に経営が悪化して、回復のめどが立たないままやがて事務所を閉めました。
  人々の幸せに貢献できる理想の会社を作りたいという夢を持って独立したのですが、売り上げが伸びず経費ばかりが出て行く日々が続きました。やがて蓄えがほとんどなくなって、再起するための当面の生活費があるうちに閉めてしまうのが賢明な処置だと思ったのでした。

 何ヶ月もかけて出した結論でしたので、閉鎖する時に事務所内の設備や看板が撤去される時は冷静に対応できたのですが、数日後から自分の中からエネルギーが抜けてしまったようになりました。
  僕はそれからの身の振り方をいろいろ考えました。しかし次の行動に移るための意欲が湧いてこなくなってしまいました。
  仕事がなくなったため、毎日を図書館で過ごすことが多くなりました。並んでいる本の中で目に入るのは癒しや精神医学の本ばかりで、そんな本ばかり借りて読みました。

 今から30年ほど前に、ノストラダムスの予言の本が日本中に衝撃を与えたことがありました。僕はその頃中学生でしたが文学や哲学をかじっていました。
  ノストラダムスの予言を読んでいると、すべてがその通りに思えました。やはりそうか、人類はこのまま滅亡に向かっているのか。しかも自分が生きている間に。
  その頃の自分は何のために生まれたのだろうとか、生きることに何の意味があるのだろうかと考えるようになっていたのでした。

 高校受験が近づいて夜遅く勉強机に向かうのですが、英語や数学の教科書を開く気になれませんでした。
  滅亡に向かうだけの社会で、一体何のために勉強しなければならないのだろうか。
  文明は発達したとはいえ結局は地球の環境を破壊する結果しか生まなかった。
  人々の心は荒廃して、善意や愛などはこの社会には何の力もない。
  そして人類はひたすら滅亡の道をたどるだけで、もはや手遅れになってしまっている。
  この世の中はもはや希望を持って生きていくことなどできないのだ・・・・。

 何のために自分はこの世に生まれなければならなかったのだろう。
  どんなに考えても、人間がこの地上に出現したこと自体が誤りだ。
  この自分ですらこの地上で生きていくこと自体、自然を破壊することでしか生きていくことが出来ないのだ。
  かといって、もはや原始時代のような生活には戻ることはできない。
  ではこれから、この世界でどのように生きていけばいいのだろうか。

 このような考えに陥ってからは、生きることにも将来に対しても希望も抱くことができなくなりました。当然勉強にも意味を感じられなくなりました。
  そして僕の中学校生活は暗く、孤独な毎日が続くようになりました。

 やがて僕は学校の中でも一人でいることが多くなり、休憩時間や遠足の時間も一人でした。誰と話をしていても話題が続かなくなってしまったのです。
  孤独は長く続くと本当に苦しいものです。僕は早く死にたいと思うようになってきました。
  部屋の中に一人で机の前に座っている時に、時おり幻覚や幻聴が起こるようになりました。胃腸の健康も損なわれ、昼間も夜中も1時間おきくらいに痛みに襲われるようになりました。
  自殺の衝動にもたびたび襲われるようになりました。誰かと言葉を交わす機会があるたびに、自殺したいという言葉を漏らすようになりました。しかし実際に行動に移すことは出来ませんでした。

 高校に入ってからはそんな自分を変えたくて、運動クラブに入って毎日身体を鍛えました。一切本を読むことをやめて娯楽番組ばかり見るようになりました。時間があれば夜にマラソンや筋力トレーニングをして、とにかく何も考えないようにして精神的な健康を取り戻そうとしました。
  そのかいあって1年後には別人のような人間になりました。

  もう再びあのような暗く苦しい日々には戻りたくない。
  あの頃の自分を忘れたい。自分はもう違う人間なのだ・・・・。

 大学に入るとマージャンを覚え、繁華街を遊び歩く日々を送るようになりました。アルバイトで稼いだお金をすべて遊びにつぎ込みました。

  どうせ社会なんてこんなものだ。
  まじめに生きてきた人間は、会社の中では人間関係で苦しむだけだ。
  遊んだ人間の方がうまく立ち回れるのだ。
  文学や哲学など、人間を孤独にしてノイローゼにするだけだ。
  こんなものにのめりこんだために、自分の人生は台無しになってしまったのだ・・・・。

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2.キリスト信仰を持つ

 この頃の自分は生きていることすべてが退屈に思っていました。
 そしてふとした瞬間に気持ちが非常に憂鬱になるのでした。
 それをまぎらわせようとしてひたすら刺激を追い求めました。
 車を思い切り飛ばして何も考えずにすむようにしても、普段の生活に戻ったとたんに再びどうしようもなく退屈な気持ちに襲われ、憂鬱な時間が訪れるのでした。

 生きていること自体が苦痛で、かといって死ぬことも出来ない。
 もうやけくそになって切れてしまいそうでした。
 それをごまかすために、強い刺激が欲しかったのです。

 なぜ生きていかなければならないのでしょう。
 その意味も目的もわからない状態で、なぜ生活のためだけにがんばれるのでしょうか。
  『そんなこと言っていたら食っていけない』とはどういうことだ。
  食べていくために我々は、わざわざこんな世の中に生まれなければならなかったのか。

 生きる意味が欲しい。人生を賭けられるものが欲しい。それがなければ自分は生きていけない。生きていこうという気にはなれない。

  心の平安が欲しい。人を信頼できる自分になりたい。
  人を愛せる自分になりたい。自分を愛することができるようになりたい。

  しかしいくら努力しても、結果はいつも逆で虚しさだけが残りました。

 こんな自分になるはずではなかったのに・・・・・

 何か大きなもののために、そして自分も周りの人も幸せになるような何かが欲しい。
  自分の情熱や人生のすべてを賭けられるものが欲しい。
  それを見つけない限り、自分は絶対に幸せなんかにはなれないし、自分のような人間はもうこの社会では生きていく場所はないのだ・・・・・。

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3.内観との出会い

 しかし始めにお話しましたように事務所を閉鎖して仕事と居場所を失ってから、再び心のバランスを失ってしまいました。
  僕はキリスト教徒でしたが、聖書を読んでも頭に入らず、真剣に祈っても次の瞬間には仕事や将来の不安に心が支配されてしまいました。
  少しのことにもひどく心が傷つき、歩いていても足に力が入らず、他人の足のような気がしました。
  いつも胸の心臓のあたりが締め付けられるような苦しさがありました。
  頭のてっぺんから後ろの部分を、何者かに頭を締め付けられているような感じが続いていました。やっと治まっていた不眠症もまたぶり返してきました。
  何かの折に、自分はとても大切な居場所を失ってしまったという思いがこみ上げてきて、泣く事が多くなりました。

 そんな時に、たまたま図書館で内観療法の本を見つけました。7年ほど前に内観を体験した人から、とてもいいから一度行ってみたらと勧められていたのを思い出し、その本を借りて読みました。
  僕はこれまで出会ったことのない心の衝撃を受けました。これだ、と思いました。
  そして続けて何冊か内観の本を読み、インターネットで全国の内観研修所のホームページを読みました。

  僕はもうここに行くしかないと思いました。
  もしかしたらこれで自分は立ち直れるかも知れない。たとえ立ち直れなくても、今後の人生への何かのヒントだけでも得られるかもしれない。
  僕は奈良県にある内観研修所に電話して予約を取り、最後の望みをかける心境で出発の日を待ちました。

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4.内観1日目 何も思い出せない苦しみ

 出発の日の朝、父から久しぶりに電話がかかってきました。東京に住んでいる兄が盆休みに帰ってくるし、妹も帰ってくるので、よかったらこの機会にみんなで温泉でも行かないかと言うのです。
  僕は今の心境では行っても楽しめないし、他の人にも不愉快な気分にさせるだけだと思いましたので断りの返事をしました。
  父は「そうか。余計なことを言って済まなかったな。」と言いました。しかし後でそのことを知った妻はなぜ断ったのと言って、僕を責めました。
  そんな妻に対して、どれほど自分が苦しんでいて今どんな状態かをまるでわかっていないと思って腹が立ちました。
  そして自分は今温泉どころではない状態で、内観に行ってもだめだったら病院に入院するしかないとまで思いつめていることや、そんなに行きたければ行きたい者だけで行ってくればいいと言いました。

 言いながら涙が出てきました。せっかく皆が楽しいひと時を過ごそうとしているのに、それをぶち壊すことしか言えない自分が情けなく、そして苦しんでいる人のために働きたいとかキリストの愛とか日ごろは語っているくせに、愛どころか自分の苦しみを周りに撒き散らしているだけの自分が情けなくて、それからもずっと涙が止まりませんでした。
  妻も一緒に泣いて「わかったから・・・。本当にもういいから・・・。」と言ってくれました。

 出発の時刻になり、1週間分の荷物を入れた重いバックを自転車に積んで、妻は駅まで見送ってくれました。僕はまた涙が出てきそうになって、妻の目を見ることができないまま改札口を入っていきました。

  内観研修所に着いて中に案内されて、住所や氏名、ここに来た理由などを記入したあとまた涙が出てきそうになって困りました。
  所長の先生と少し話をして自分の部屋に案内され、部屋の隅に立ててある屏風の中の約1メートル四方の狭い空間がこれから内観する場所でした。中に座ると所長の先生が屏風を閉める前に、「ここで今から小学校時代までの母からしてもらったこと、してかえしたこと、迷惑をかけたことを調べていただけますか。」と言われた時に、とうとうそれまでこらえていたのが耐え切れなくなって泣いてしまいました。

  薄暗い狭い屏風の中で、まるで刑務所の独房に入れられたような気持ちになりました。こんなところに来なければならなくなった自分がものすごく哀れに思えてきて、それからもしばらく泣き続けるしかありませんでした。

  それから1時間半おきくらいに所長の先生が面接に来られ、夕食をはさんで9時近くまで自分自身の過去を調べたことを話すのですが、何も思い出すことは出来ませんでした。結局その日は成年以降に迷惑をかけたことが少し思い出せた程度で終わりました。

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5.内観2日目 生まれたこと自体が不幸にすぎない

 1日目は夜9時に消灯して寝床に入ったのですが、ほとんど眠ることが出来ないまま朝5時の起床の放送がありました。部屋とトイレの掃除が僕に割り当てられた仕事でした。

 BGMにヒーリングミュージックが全館に流れているのですが、なぜかその曲がもの悲しく聞こえ、トイレの便器を雑巾で拭きながらまた悲しくなって涙が出てきました。
  僕にとってここは病院に代わるところでした。薄暗い狭い屏風の中で何も思い出せないまま何時間も過ぎて行きました。そしてこのまま何も変わらないまま1週間が終わってしまうかもしれないという思いがしてきました。
  『高校生の時の母に対する自分を調べること』がこのときに与えられた課題でした。
  僕はこの世に生まれてきてよかったなどとは少しも思えませんでした。生きることは苦痛にしか思えませんでした。
  今は落ち着いて高校生時代の良かったことも思い出せますが、その時は心がストレスではちきれそうになっていましたから、母に対して何も思い出すことが出来なくなっていました。

 正直に告白します。僕は9.11のニューヨーク同時テロの時、テレビの画面を見ながらこのまま世界が滅んでいくことを期待していました。1999年7月のノストラダムスの例の予言も、実現することを期待していたのです。
  しかしそれは実現することなく、相変わらずこの世界は動いています。
  しかもますます悪くなる一方で。
  僕は人類を地球上の癌細胞に過ぎないと思っていました。早く人類がこの世から消滅してくれることを私は望んでいました。僕はそういう考えを持った人間なのでした。

 面接の先生が来られたときに、僕はほとんど眠れなかったことや、自分がこのような考えでこれまで生きてきたこと、これで良くならなかったらこの社会で自分にはもう生きる場所はないかもしれないと思っていることなどを話しました。そして話しながらただ泣くしかありませんでした。
  ただ一つの救いは、所長の先生が「そういう方にこそ内観は一番適していると思います。」と言って下さったことでした。
  そして一週間後にこの言葉は本当のことになりました。
  そのいきさつは後でお話します。

 そして内観二日目になってもほとんど何も思い出すことが出来ずに終わりました。
 夜になってやっと高校時代の良い思い出が浮かんできて、少しだけ母からお世話になったことや、迷惑をかけたことなどを思い出すことが出来るようになりました。

  僕の幼年時代から成人に至るまでに何があったかは、いろいろな人のプライベートな事情がからんでくるため、詳しくお話しすることができないのをお許しください。
  要点だけをお話しすることにします。

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